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戦略とやさしさで組織を動かした男――硫黄島を戦い抜いた栗林中将のマネジメント力

栗林中将に学ぶ「Y理論経営」

 

――西順一郎先生が薦めた一冊から――

 

マネジメントゲーム(MG)を開発した元ソニーの西順一郎先生に「この本はいいよ」と勧められ、栗林忠道中将に関する書籍を読んでみた。

 

どこが良かったかを、西先生と直接答え合わせしたわけではない。でもそれでいいのだと思う。西先生は明確に答えを教えることはしない。それは「教えない教育」にこだわっているからだろう。

 

これまでの講義の中で、西先生が伝えたかったこと、気づいてほしかったことを、自分なりに整理してみた。

 

以下は一部ネタバレも含むので、これから読む人は注意してほしい。

 

① 情報分析能力

 

栗林中将は戦前、アメリカに留学していた。その際、アメリカの圧倒的な工業力を目の当たりにし、戦争開戦には一貫して反対していた。

 

あまりにも上層部に意見を述べたため、「絶対に生還できない」と言われた硫黄島の守備隊司令官に任命されたという説もある。

 

開戦後も、彼は独自に情報収集を行っていた。大本営の情報だけに頼らず、英語がわかる部下にアメリカの通信を傍受させ、暗号は読めなくとも、通信量の増加などから攻撃の兆候を察知していた。

 

② 戦略眼

 

大本営の方針は「水際でアメリカ上陸軍を叩け」というものだったが、栗林中将はこれを無視。戦争の常識を破る大きな決断だった。

 

彼の戦略は「徹底した持久戦によって、本土空襲を遅らせる」というものであった。生還の可能性がない戦場で、無駄死にではなく、目的を持った戦いを部下とともに貫こうとした。

 

③ 独創的な戦術

(1)バンザイ突撃を禁止

 

無意味な突撃はさせず、地の利を活かした持久戦を展開。

 

(2)地下要塞の構築

 

地熱があり川もない硫黄島で、40℃にも達する地中に兵士が穴を掘り続けた。岩盤は硬く、兵士たちは痩せ細っていったが、この「穴」がアメリカ軍を最も悩ませる要因となった。

 

(3)優秀な人材の要求

 

物資の供給が途絶える中、大本営と交渉して、優秀な兵士を送り込んでもらった。戦果だけでなく、部隊の士気維持にも効果があった。

 

④ 人員配置と組織運営

 

 

10ヶ月間の指揮の中で、ソリが合わない者や組織の和を乱す人間は積極的に配置転換した。極限状態の中で組織の一体感を保つために、時間のない中でも断行した判断だった。

 

⑤ 兵士の鼓舞

 

 

栗林中将は「優しさ」で部下を動かした。暴力で命令を強いることはせず、兵士の穴を訪ねて声をかけ、タバコを配り、火をつけてあげた。後にそれが司令官だったと知った兵士は、深く感動したという。

 

⑥ 弱者の戦術を徹底

 

 

接近戦に持ち込み、火炎放射器や指揮官を優先して狙うなど、きめ細かいルールを徹底した。これにより、アメリカ軍の損害は予想を大きく超えるものとなった。

 

結果と学び

 

アメリカ軍は「数日で終わる」と予想していた硫黄島の戦いで、1ヶ月以上を要し、日本軍守備隊を上回る26,000人の死傷者を出した。

 

もし海軍が栗林中将に協力していたならば、地下要塞はさらに強固になり、厭戦、アメリカ軍司令官の交代などを引き起こし、全体戦局にさらなる影響を及ぼしていたかもしれない。

 

驚くべきことに、この戦い方は日本では継承されなかったが、後のベトナム戦争では見事に応用され、アメリカ軍の撤退を引き出す結果となった。

 

栗林中将の経営的手腕

 

栗林中将の戦い方は、科学的かつ俯瞰的な視点による判断であり、感情ではなく「合理性」に基づいていた。

 

組織を暴力で支配することなく、士気を高め、自らも最前線に立つことで信頼を得た。

 

これはまさにダグラス・マグレガーの提唱した**「Y理論」的なマネジメント**そのものだ。

 

――もしかすると、西先生はこれを私たちに伝えたかったのかもしれない。