プーチンの生い立ちと思想に見る「国家」への執念
ウラジーミル・プーチンと聞いてどう思うだろうか。
いきなりウクライナに攻め込んだ、悪の支配者?
そんな彼がどうして国民から80%以上のダントツの支持率
を得ているのか気になって調べてみた。
今や世界で最も注目される政治指導者の一人だが、その政治思想と行動の背景には、彼自身の生い立ちと時代が色濃く反映されている。
◆ レニングラードで育った少年時代
プーチンは旧ソ連・レニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれ育った。
父は第二次世界大戦に従軍した寡黙な軍人。その後、工場労働者となる。
母は共産党政権下で密かにキリスト教信仰を守り続けた敬虔な女性だった。
兄は、独ソ戦の激戦「レニングラード包囲戦」で病死。
家族は共同住宅に暮らし、部屋数は2つだけ。トイレも風呂も共用だったという。
青年期はレニングラード大学で法学を学んだ。
過酷な生活環境と戦争の記憶、そして両親の信念が彼の価値観の核となる。
◆ KGB時代とベルリンの壁崩壊
念願叶ってKGB(ソ連国家保安委員会)にスカウトされるが、配属先は最前線から遠い「東ドイツ」。
ベルリンの壁が崩壊するその瞬間、彼はドレスデンのKGB支部にいた。
民主化を求める市民が詰めかけ、建物を取り囲んだとき、彼はピストルと防弾チョッキで対応しながら、発砲せず「対話」によってその場を乗り切った。
あの瞬間、「国家は本当に脆い」と痛感したという。
◆ 経済崩壊の記憶
1980年代末から90年代にかけてのソ連崩壊、ゴルバチョフ・エリツィン政権下の経済危機は、プーチンの政治観に決定的な影響を与えた。
1990年のロシア名目GDP:5,170億ドル
1999年には:1,950億ドルへと激減
平均寿命は4.2年も下落
貧困率は急上昇
ソ連崩壊とともに、国も社会も秩序を失い、多くの人々が絶望した。
◆ 大統領就任と国家の再建
2000年5月、大統領に就任。
以後、ロシアの経済と国家の統治体制を立て直し、「強いロシア」の再建に乗り出す。
民主主義よりも秩序と統制を重視する姿勢は、国内外で賛否を呼んできた。
◆ 影響を受けた思想家たち
プーチンは単なる権力者ではない。明確な思想的バックボーンを持っている。
アレクサンドル・ドゥーギン(政治学者・地政学者)
民主主義や個人主義を「文明の退廃」と批判
国家と宗教の一体化を重視
グローバリズム・LGBT・フェミニズムに反対
イワン・イリイン(哲学者・法学者)
共産主義も西側個人主義も「国家の魂を破壊する」と主張
正教会を中心とした道徳国家を理想とし、「民主主義より道徳的な指導者による統治」を訴えた
プーチンはこれらの思想を参考に、ロシアの統治スタイルを構築している。
◆ プーチンという人物をどう見るか
プーチンの政治観には、彼自身の生い立ちが反映されている。
国家が弱体化すれば、外国に攻め込まれ、家族も守れない。
レニングラード包囲戦とベルリンの壁崩壊の記憶
そして経済崩壊による国民の苦しみ
だからこそ、彼は「民主主義ではロシアは守れない」と考え、ナショナリズムと宗教を国家再建の軸に据えたのだろう。
◆ 好きか嫌いか、ではなく
好き・嫌いだけで人を評価しても、真実には届かない。
背景・思想・歴史を知ることで、相手を立体的に理解できる。
それは情報収集の醍醐味でもある。
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